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納屋橋》1610年(慶長15年)堀川の掘削とともに架けられた「納屋橋(なやばし)」。「堀川七橋」の中でも一際目を引く、アール・ヌーヴォーの影響を受けた華麗な橋です。

2017/06/01  

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地下鉄東山線、鶴舞線伏見駅の7、8番出入口を出て、まっすぐ歩いていくと5分ほどで「納屋橋(なやばし)」が見えてきます。
名古屋のメインストリートのひとつである広小路通の「堀川」に架かる「納屋橋」の名は、この一帯の繁華街の総称としても使われており、名古屋市民にとって馴染みのある名前です。

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「納屋橋」の名前の由来には2つ説があります。
ひとつは、橋の西側に魚屋(なや)、または倉庫が多くあったことから「納屋町」と名付けられた町があり、その近くの橋だから「納屋橋」と呼ばれるようになったという説。
もうひとつは、「納屋橋」の南東に尾張藩の米蔵が多くあり、米をしまっておく納屋の近くの橋だから「納屋橋」と呼ばれるようになったという説。
どちらが本当の由来なのか、他に由来があったのかは、今となっては分かりません。

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「納屋橋」は、1610年(慶長15年)堀川の掘削とともに架けられた「堀川七橋」のひとつ。堀川の上流から数えて4番目にあります。
現在の「納屋橋」は、大正初期につくられた架け替え前の橋のデザインを元にして1981年(昭和56年)につくられた鉄骨造アーチ橋。豪華なスズラン灯が乗った貫禄のある親柱や橋中央部に張り出したアルコーブが大正ロマンを感じさせる、「堀川七橋」の中で一番派手やかな橋です。

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橋長27.3m、幅員は30mと、「納屋橋」は橋長より幅員が広めです。これほど幅が広いのは「広小路通」の歴史と深い関わりがあります。
「広小路通」は名古屋城が築城された際、碁盤の目に区画整備された名古屋の町の南端にあった通りで、そこに架かる「納屋橋」周辺も町の中心部からはずれた静かな場所でした。そんな「納屋橋」ですが、1886年(明治19年)笹島に出来た「初代名古屋駅」まで「広小路通」が延伸拡幅されたのを機に、名古屋のメインストリートに面した繁華街として賑わいを増していくことになります。

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1898年(明治31年)には、全国で2番目となる路面電車の「名古屋市電栄町線」が開通し、「納屋橋」の上を走るようになりました。これによって人々の行き交いはますます増え、さらに1907年(明治40年)には名古屋港が海外との貿易港となったことにより、港と市街地を結ぶ「堀川」を通る船も増えました。こうして「納屋橋」は水陸共に、輸送路として重要な役割を果たす橋へと変わっていきました。

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そのめざましい発展に合わせて「納屋橋」も改築。1913年(大正2年)に現在の橋のデザインの元になった鉄骨造のアーチ橋になりました。
石の親柱や鋳物(いもの)の欄干。橋を照らす煌びやかなスズラン灯も、珍しかったに違いありません。アール・ヌーヴォーの影響を受けた新しいデザインは人々の目に、どんなに新鮮に映ったことでしょうか。今は「レトロ」と言われる「納屋橋」も、当時は「ハイカラ」な橋として新聞に取り上げられたそうです。

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「納屋橋」を印象付けている美しいアーチは、日本初の銑鋼一貫製鉄所として製鉄業をリードしてきた「官営八幡製鉄所」に発注したものです。製鉄事業に詳しい専門家を海外から招き、設備と技術を得た「官営八幡製鉄所」は日本の重工業の発展を大いに支えました。そういった明治の技術革新の時代背景も「納屋橋」に反映されているのかもしれません。

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欄干等をつくった「中島鉄工所」の「中島彦作(なかじまひこさく)」氏は、銅器製造の先進地である富山県高岡市からも職人を呼び寄せるなど、「納屋橋」を名古屋一の橋にしようと熱心に携わった人物。巧妙につくられた欄干を見れば見るほど、中島氏がどれだけ誇りと情熱を持って橋と関わっていたかが伝わってきます。

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「中島鉄工所」は立派な欄干を完成させましたが、それは採算を度外視してつくられたものでした。こだわりを優先した結果、多額の赤字を出し倒産することに。しかし、それほどまでに「納屋橋」に懸けた想いは市民に伝わっていました。1981年(昭和56年)の改築の際に、中島氏がつくった欄干などは実物を補修して再使用され、素材や意匠もほぼすべてが現在も残されているのがその証拠です。

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橋の中央部にあるバルコニーにも似たアルコーブの欄干には、「堀川」を開削した「福島正則(ふくしま まさのり)」の「中抜き十文字」の家紋があります。この“丸の中に十文字”という家紋は、馬に手綱をつなぐ際、馬の口に含ませる金具の形が由来となっています。

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その近くに、郷土3英傑の「織田信長・豊臣秀吉・徳川家康」の家紋もあります。名古屋に縁の深い4人の家紋を欄干に入れたのは、4人に対する敬意と「納屋橋」の繁栄を願ってのことでしょうか。
郷土3英傑の家紋の右下には「中島鉄工所」と「中島彦作」の名前も確認できるはずです。

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技術と想いが込められた「納屋橋」への市民の関心度は高く、橋が完成した1913年(大正2年)の「渡り初め式(渡橋式)」には約5万人が集まったほど。三代夫婦が揃った縁起の良い家族が最初に渡るという習わしから選ばれたのは、饅頭屋の「伊勢屋」、うどん屋の「三輪辨」の家族でした。
「家族が饅頭のごとく円満に、うどんのごとく末長く」という言葉が生まれ、この2店は市民から親しまれるお店となり繁盛したそうです。後に名前を変え、名古屋で有名な「納屋橋饅頭」、「長命うどん」となりました。

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人々の興味を引いてきた「納屋橋」も、1971年(昭和46年)の市電廃止によって周辺の人通りが少なくなり、だんだんと賑わいは遠ざかっていきました。
しかし、近年は川沿いの遊歩道が整備され、おしゃれな飲食店や商業施設が続々と開店。高山額縁店内にあるサロン「納屋橋TWILO(トワイロ)」では、かつて納屋橋周辺に名古屋支店があった幻のビール「カブトビール」を復活させ、「納屋橋」を盛り上げています。

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毎月第4金曜日に遊歩道で行われるナイトマーケット「なやばし夜イチ」は、楽しげな露店の灯が川面に映る幻想的な光景が、まるで異国の地に来たかのように感じられる大きなイベントです。その中でも、3月の「日本酒祭り」、8月と9月の「ビール祭り」は、名古屋市内外からお酒好きが集まり、大盛況となります。

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積極的な名古屋市民の活動によって賑わいを取り戻し、新しく生まれ変わっている納屋橋周辺。その中で「納屋橋」は、1989年(平成元年)「名古屋市都市景観重要建築物等」に指定されました。技術と情熱が込められた100年前から変わらない姿の「納屋橋」は、地域活性のシンボルとしてこれからも名古屋の発展になくてはならない橋です。

納屋橋
住所〒460-0003 愛知県名古屋市中区錦1丁目
駅・アクセス地下鉄東山線・地下鉄鶴舞線 伏見駅 7・8番出口 徒歩5分


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