main

学ぶ見る

国際センター》上方の名のある3社寺を合祀した、由緒不明の「多賀宮(たがのみや)」。共通点は天下人・秀吉と延命祈願?

2016/03/25  

001_r
名古屋市営地下鉄桜通線「国際センター駅」1番出入口からでて、名古屋高速都心環状線に沿って北上します。左手に「円頓寺商店街」とかかれたアーケードが見えたらそこへ入り、しばらく歩いて行くと右手側に「多賀宮(たがのみや)」がみえてきます。

002_r
円頓寺商店街に並ぶ店々の間にある幅の狭い参道は、一見素通りしてしまいそうですが、奥へ進むにつれて厳かな雰囲気の社が見えてきます。3つの社にはそれぞれ「多賀大権現(たがだいごんげん)」「犬鳴山倶梨迦羅大龍不動明王(いぬなきさんくりからたいりゅうふどうみょうおう)」「薬力稲荷大明神(やくりきいなりだいみょうじん)」が祀られています。

003_r
「多賀大権現」は滋賀県の琵琶湖のほとりにある「多賀大社」を指し、「犬鳴山倶梨迦羅大龍不動明王」は大阪府泉佐野市にある修験道の霊場、犬鳴山に座す「犬鳴山七宝瀧寺(いぬなきさんしっぽうりゅうじ)」に本尊があります。そして「薬力稲荷大権現」は、稲荷神社の総本宮、伏見稲荷大社のある京都の稲荷山に座す、「薬力社」が本尊です。

004_r
「多賀宮」の起こりは、徳川家康が清洲から名古屋へ拠点を移した、慶長17年(1612年)の「清洲越(きよすごし)」で、この地に多賀大社を分祀したことのようです。しかし、他の2つがいつ合祀されたのか、確かなことはわかっていません。

005_r
鎮座の場所も全く異なる3つの社寺が、なぜ名古屋に合祀されたのか。共通点となるのは、戦国の乱世を治めた天下人・豊臣秀吉と、「延命」の願いです。

006_r
「お多賀さん」の名で親しまれる多賀大社は、国産み、神産みの伊邪那岐命、伊邪那美命の二柱を祀るため、延命長寿のご利益があると信じられています。全国に239もの分社をもつ、由緒ある神社です。

007_r
天正16年(1588年)、秀吉の母・大政所(おおまんどころ)が病に倒れました。秀吉は、自身が初めて築いた居城・長浜城に近い多賀大社に米一万石を納め、病気平穏を祈ります。今も多賀大社の境内に残る「太閤橋」や「奥書院庭園」は、この時の秀吉の事納によって築造されたものです。

008_r
同時期に同じく母の病気治癒を祈願したのが、伏見稲荷大社でした。母の病状は医者でも打つ手がなく、天下人の地位に驕っていた秀吉は自身の無力さを痛感します。家臣の意見にも耳を貸さず追放し、神仏さえもぞんざいに扱っていたそれまでの自身の行いを反省するから、どうか母を助けて欲しい。その思いを綴った手紙が、伏見稲荷大社に残っています。

009_r
今も伏見稲荷大社の本殿を守るようにそびえ立つ、高さ15メートルにもなる朱塗りの豪勢な楼門は、この時母の回復を感謝して秀吉が作らせたものです。そして、稲荷山に座すいくつもの社のなかで、「薬力稲荷大権現」を祀る「薬力社」が、とりわけ秀吉の願った、薬の効果や治癒に関連したご利益を得られると信じられています。

010_r
しかし、3つめの「倶梨迦羅大龍不動明王」をまつる「犬鳴山七宝瀧寺(いぬなきさんしっぽうりゅうじ)」と秀吉の関わりは、母の病回復祈願ではありません。犬鳴山は秀吉の主拠点・大坂城の南方にあり、対抗勢力となる雑賀衆や土田氏、根来寺の僧兵衆の拠点が近くにありました。それら諸勢力を一掃するために行った、天正13年(1585年)の「根来攻め」によって、七宝瀧寺も本堂を除いて焼き払われてしまったのです。

011_r
とはいえ、七宝瀧寺は斉明天皇7年(661年)、修験山伏道の開祖「役行者(えんのぎょうしゃ)」によって開かれた、非常に歴史ある霊験あらたかな場所です。根来攻めの後、母の回復により神仏への感謝を深めた秀吉は、そんな犬鳴山への信仰も深まったのでしょうか。後年、焼失した七宝瀧寺の宿坊「滝本堂」を再建しています。

012_r
その本尊「倶利伽羅大龍不動明王」は、秘剣に炎のごとく龍が巻きついた秘仏で、開祖・役行者の自作です。不動明王が右手に持つ剣を「倶利伽羅剣(くりからけん)」とよび、龍が炎となって剣に巻きついている姿で描かれますが、七宝瀧寺のように本尊を不動明王ではなくその剣とする寺院は、国内でも類例がありません。「生命乞いの不動明王」として、やはり他の2社同様、延命のご利益があります。

013_r
滋賀の「多賀大社」、京都の「薬力社」、そして大阪の「七宝瀧寺」。多賀宮に分祀された3社ともに、秀吉が居を構えた地にあり、病気治癒や延命にご利益のある歴史ある大きな社寺で、そして秀吉による多大な奉納がされています。

014_r
ただし、秀吉自身は名古屋とはさほど関連がありません。名古屋は家康の行った清洲越によって、人や物が清洲から大移転したことで発展してきましたが、その清洲が一時豊臣の領地でした。また清洲は京都に通ずる交通の要所で、上方の情報も伝わりやすかったのでしょう。天下人・秀吉も深い信仰を寄せたという社寺を、新たな居住地である名古屋にまとめて祀ろうと、人々は考えたのかもしれません。

015_r
現在の多賀宮は、名古屋の三大商店街のひとつでもっとも歴史のある「円頓寺商店街(えんどうじしょうてんがい)」の中にあります。老舗の定食屋や喫茶店も多くあり、なかでも80年以上の歴史を持つ喫茶店「西アサヒ」は、昭和7年(1937年)から愛され続けるたまごサンドで有名です。厚焼き卵のようなふわふわの卵から、噛むたびにバターの濃厚な風味がじゅわりと溶け出します。

016_r
そんな商店街のなかにあるのも手伝って、上方の、とりわけ霊験あらたかな社寺を合祀した多賀宮は、今は人々にとっては畏怖や崇敬というよりも、身近な”守り神様”のような存在なのでしょう。

017_r
ところで、名古屋には民家の屋根の上に小さな社を作り、周辺の民家が共同で祀る「屋根神(やねがみ)」という独特な民間信仰があります。屋根神は、名古屋に座す「秋葉神社」「津島神社」「熱田神宮」という全国的にも名高い3社を、自分たちの身近なところに合祀するものです。

もしかすると「多賀宮」の合祀も、これと同じ名古屋人独特の感性によるものなのかもしれませんね。

多賀宮
住所〒451-0042 愛知県名古屋市西区那古野2丁目8
駅・アクセス 名古屋市営地下鉄 桜通線 「国際センター駅」 徒歩5分

,


  1. このエントリーをはてなブックマークに追加
Translate »