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国際センター》堀川の流れに立つ最古の橋「中橋(なかばし)」。大正6年(1917年)架橋の華奢な橋脚は、鋼鉄橋の黎明期を今に残す貴重なもの。

2016/03/16  

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名古屋市営地下鉄 桜通線「国際センター駅」2番出入口から、桜通りを栄方面に進みます。堀川沿いに北上して一つ目の橋が、「中橋(なかばし)」です。

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中橋の西側のたもとは、「四間道(しけみち)」につながります。土蔵と町家が立ち並ぶ、名古屋のなかでも歴史的な地域です。江戸時代初めに東海道の拠点が清洲から名古屋へ移された「清洲越(きよすごし)」によって、名古屋へ移転してきた商人たちの町でした。

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中橋は、慶長15年(1610年)に堀川が掘削された時にかけられた、「堀川七橋」のひとつです。堀川七橋は上流から、五条橋(ごじょうばし)、中橋、伝馬橋(てんまばし)、納屋橋(なやばし)、日置橋(ひおきばし)、古渡橋(ふるわたりばし)、尾頭橋(おとうばし)の7つ。このうち中橋を挟む五条橋と伝馬橋は、清洲越によって移転されてきたものでした。

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「中橋」の名前は、その堀川以前からある五条橋と伝馬橋の中間にかけられたことから付きました。今は中橋と伝馬橋の間に、昭和12年(1937年)、名古屋太平洋平和博覧会開催にあわせて架橋された「桜橋」がかかっています。名古屋駅から栄地区へ至る大通り「桜通(さくらどおり)」を渡す桜橋は、がっしりとした石積み風のアーチ橋で、道幅が広く、桜の木を模したお洒落な街灯が立っています。

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そこから眺める中橋は、細い橋脚に質素な欄干。名の由来もその佇まいも一見地味な中橋ですが、実は堀川にかかる全ての橋のなかで、最も古い姿を残す橋なのです。架橋は大正6年(1917年)、国内で現存する道路用の鋼鉄橋でも、4番目に古い橋です。

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欄干など橋上部は平成26年(2014年)に補修工事をされたものですが、華奢な橋脚や石積橋台などは大正期の建築をそのままに残しています。

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日本の橋梁で最初に鋼鉄が使われたのは、明治元年(1868年)架橋の長崎の「くろがね橋」です。残念ながら現存はしていません。鋼鉄橋梁の技術が乏しかった明治期、日本の鋼鉄橋は、鋼鉄橋梁の先駆けであったイギリスなどの欧米諸国から輸入したものがほとんどでした。

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初めての国産の鋼鉄橋は、明治11年(1878年)架橋の弾正橋でした。現在は富岡八幡宮に八幡橋として保存されています。次第に日本人技術者が成長し、20世紀に入ると国内での鋼鉄生産が軌道に乗ったのもあり、現在の中橋がかけられた大正期には、輸入ではなく国内生産が主になっていました。

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そして大正12年(1923年)、東京を中心に壊滅的被害を与えた関東大震災が発生します。この復興事業を機に、日本の鋼鉄製橋梁の技術は独自の飛躍的発展を遂げました。

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つまり中橋は、その大変革を迎える前、外国から技術を吸収して国産の鋼鉄製橋梁技術が花開いた、その黎明期の面影を今に残してくれる貴重なものなのです。

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それにしても、堀川にかかる他の橋も老朽化のために何度か架け替えがされているのに、なぜ中橋は大正期の姿を保っていられるのでしょう。理由は、中橋のかかる場所にあります。

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ひとつ上流にかかる五条橋は、名古屋の三大商店街のひとつ、円頓寺商店街につながっています。昭和にかけられた桜橋は桜通を渡し、さらに下流にある伝馬橋は、東海道の宿場・宮宿(みやしゅく)(熱田宿)と、中山道の垂井宿(たるいじゅく)とを結ぶ「美濃路(みのじ)」とつながっていました。そんな周囲の橋に挟まれた中橋は交通量が少なかったため、劣化が遅く今まで残ることができたのです。

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四間道側のたもとには、名古屋独特の民間信仰である、小さな屋根神さまも鎮座します。家屋の屋根の上に祀られるから「屋根神(やねがみ)」といわれますが、高所へ登っての祭礼が危険なため、このように降ろされたものもあります。少し傾いているのは、もともと屋根の傾斜に沿って作られていたためです。

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名古屋と栄を結ぶ現代的な桜橋から見える、質素な趣の中橋。そのひっそりとした佇まいこそが、国産鋼鉄橋の黎明期からの歴史であり、中橋が大正期の姿を今日まで残すことができた理由です。
堀川の流れにその華奢な脚で最も長く建ち続ける姿は、時を経たものだけが自然と帯びる、凛とした凄みのようなものを感じます。

中橋
住所〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内1丁目
駅・アクセス名古屋市営地下鉄桜通線「国際センター駅」2番出入口 徒歩5分

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