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国際センター》かつては名古屋城内三の丸に祀られていた円頓寺商店街「金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)」。戦国の二大武将、信長・秀吉も話したという名古屋弁のおみくじで私達を占います。

2016/03/07  

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地下鉄桜通線 国際センター 2番出入口より、栄に向かってまっすぐ進みます。桜橋西 交差点を左に曲がり、堀川を右手に見ながら北へ進むと、名古屋の下町の雰囲気が残る円頓寺商店街(えんどうじしょうてんがい)が見えてきます。

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門前町として発達した円頓寺商店街ですが、その地名は商店街の中心に建つ「長久山圓頓寺(ちょうきゅうさんえんどうじ)」に由来します。1911年(明治44年)名鉄瀬戸線の終点である堀川駅、1913年(大正2年)には名古屋電気鉄道の江川線が開業され交通の便が良くなりました。周辺地域の利用者増加に伴い、多くの店ができ活性化され、現在の姿に至ります。今でも当時の雰囲気を感じる庶民的な飲食店や日用品店などが多く残り、懐かしい気持ちに浸りながらのんびりと歩くことができます。

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中間地点には、商店街の繁栄を見守るように鎮座する金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)があります。江戸時代末期までは名古屋城の城内三の丸の中の重臣大道寺邸(じゅうしんだいどうじてい)に祀られていましたが、明治の臨時軍政機関 鎮台(ちんだい)が三の丸におかれることになったため、1859年(安政6年)にこの地に遷座しました。

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大物主神(おおものぬしのかみ)を主祭神として祀ってあり、総本宮は「こんぴらさん」で有名な香川県仲多度郡琴平町の金刀比羅宮(ことひらぐう)です。江戸時代に船による流通が盛んになると、海運業者や商人によって金毘羅信仰(こんぴらしんこう)が日本中に広められました。その後、分社が各地に作られ現在では全国に約600社、愛知県内だけでも15社あります。

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円頓寺商店街の金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)には「名古屋弁おみくじ」があります。ここ近辺は名古屋弁を話す人も多く、円頓寺らしさがでることから商店街振興組合理事の方の提案により2013年(平成25年)の例大祭に合わせて設置されました。当初は例大祭の日のみ設置予定でしたが、評判が良く、翌年2014年(平成26年)より常設され今に至ります。

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おみくじは、国の祭政に関する重要な事項に神の意志を占うためくじ引きしたことが起源とされており、1242年(仁治3年)には鶴岡八幡宮で天皇を決めるためくじ引きをし、後嵯峨天皇(ごさがてんのう)が即位した説もあります。現在の形になったのは鎌倉時代の初期からで、おみくじができたとされる平安時代は自分でくじを用意し占うのが一般的だったそうです。

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「つらいだろうがまぁちょっとの辛抱だでね 時が来るのを待ってみやあ」
名古屋弁といえば少しきつめの口調をイメージしますが、名古屋弁おみくじはやさしく語りかけてくれるように感じます。一口に名古屋弁といっても、上町言葉や下町言葉、他にも武家言葉などがあります。「だがや」や「どえりゃ」など現在広く知られているのは下町言葉で、「いりゃあせ」や「見えやぁした」など上町言葉は上品でやさしさがある言葉遣いです。

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名古屋弁は、尾張(おわり)の国で話されていた尾張弁がルーツとされています。尾張(おわり)と言えば織田信長や豊臣秀吉の出身地で有名です。江戸時代初期の随筆に「信長・秀吉の時代以後、尾張人が大挙上洛した結果、京言葉に多くの尾張弁が混じるようになった」と記されており、戦国の二大武将が名古屋弁を使っていたことが窺えます。後に行政の中心を江戸へ移しましたが、あのまま尾張の地が中心とした時代が続いていれば、全国の人々が普通に「うみやぁ(うまい)、うみやぁ(うまい)」と言っている光景が見られたかもしれません。

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円頓寺商店街の繁栄を願って続けられている名古屋弁おみくじ。赤い包みは市民の方が自宅のパソコンとプリンタを使って和紙に印刷し、手作業でひとつひとつ折り畳んでいるそうです。お正月時には約300枚用意されたようで、円頓寺商店街への想いが窺えます。

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季節ごとに手製の装飾が施され、いつの時期に来ても違った景色をみることができる円頓寺商店街。ここにも地域住民の知恵と努力が垣間見えます。名古屋弁おみくじにより、数ある金毘羅信仰の神社の中でも異彩を放つ金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)は、これからも商店街を守り続けてくれるでしょう。

円頓寺商店街 金刀比羅神社
住所〒451-0042 愛知県名古屋市西区那古野1-6-16
駅・アクセス名古屋市営地下鉄 桜通線 国際センター駅 徒歩8分

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