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国際センター》清洲城下の五条川に架かっていた「五条橋(ごじょうばし)」。名古屋城の築城とともに、堀川に架橋された堀川七橋のひとつです。

2016/02/26  

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名古屋市営地下鉄 桜通線 国際センター駅 2番出入口より、桜通を栄方面に向かって歩きます。堀川(ほりかわ)に沿って北上し、2つ目に見える橋が五条橋(ごじょうばし)です。

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石の欄干(らんかん)に葱坊主形の擬宝珠(ぎぼし)、石畳、御影石(みかげいし)の親柱。この辺りには四間道(しけみち)の蔵並みや円頓寺商店街など、江戸や昭和期の風情を感じさせる景色が残っていますが、堀川を渡す五条橋もそのひとつです。

東岸の「木挽町(こびきちょう)」は、名古屋城築城にあたり木挽が小屋掛けしたことが町名の由来となっていて、五条橋と同様に城下町の名残りを留めています。

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もともとの五条橋は木造の橋で、清洲城下を流れる「五条川」にありました。江戸時代の風景画を見ると、かつての五条橋は橋脚から欄干まで木で造られていたことや、太鼓橋のように中央が膨らんだ形をしていたことが分かります。

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慶長年間の “清洲越し” の遷都によってこの場所に運ばれ、移築後も何度かの改修がなされたそうです。1938年(昭和13年)にはRC造の三径間桁橋として現在の橋に架け替えられましたが、先代の木造橋に似せてデザインされたため、景観の美しさは今も保たれています。

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五条橋の下を流れる堀川は、1610年(慶長15年)の名古屋城築城に合わせて、広島藩主の福島正則(ふくしままさのり)によって造られた運河です。現在は名古屋を南北に貫流していますが、当時は堀留から熱田宮(あつたぐう)の渡しまで、全長約6キロメートルを掘ったと言われています。

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水運の際、川岸の蔵への積み降ろしは接岸して行われましたが、他の場所へ運ぶものは袂(たもと)の「共同物揚場」に降ろされました。五条橋の橋詰には今もスロープが残っていますが、かつては荷揚げのために使われたものなのでしょう。

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親柱の擬宝珠には、堀川が掘削された1610年(慶長15年)より8年前の年号、「慶長七年壬刀六月吉日」の銘があります。尾張(おわり)の鋳物師頭(いものじがしら) 水野太郎左衛門二代の作と伝えられている擬宝珠ですが、橋に付いているものはレプリカで、本物は名古屋城に展示されています。

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西の橋詰には屋根神様がいらっしゃいます。昔はどこかの屋根に祀られていたのでしょうが、今は祭礼に合わせてお供え物や提灯が飾られるなど、町の信仰を集めています。

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堀川の開削時に架けられた七ヶ所の橋を堀川七橋(ほりかわななはし)と呼び、もっとも上流にある五条橋は、納屋橋(なやばし)とともに「都市景観重要建築物等」に指定されています。

かつては城下の動脈として多くの舟が行き交った堀川ですが、今も「堀川まちづくりの会」などのプロジェクトが発足し、大切に守られています。沿岸には昔ながらの家並みや史跡が残っていますので、気の赴くままに探索してみるのも、きっと面白いですよ。

五条橋
住所〒451-0042 愛知県名古屋市西区那古野一丁目及び中区丸の内一丁目
駅・アクセス名古屋市営地下鉄 桜通線 国際センター駅 徒歩8分

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