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那古野》隠された?流された?1858年(安政5年)の井戸浚い(いどさらい)で見つかったお地蔵様は、四間道(しけみち)の閑所にある「子守地蔵尊」で祀られています。

2016/02/17  

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名古屋市営地下鉄 桜通線 国際センター駅 2番出入口より、桜通を栄方面へ。3つ目の角を左に進むと四間道(しけみち)にたどり着きます。

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このエリアは、名古屋城の築城に伴う都市の移転、いわゆる “清洲越し(きよすごし)” の際に形成された商人の町で、地名は1700年(元禄13年)の大火を契機に拡張された四間(約7メートル)の道幅に由来します。四間道の東側には今も蔵並みが残り、江戸情緒あふれる場所となっています。

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四間道を北上し、白壁土蔵の端あたりで左の細い路地に入ります。数軒の民家を抜けて、右手に見えるのが「子守地蔵尊」です。閑所(かんじょ)にある分、親しみ深い御堂なのでしょう、8月には近隣の人々が集まり祭礼「地蔵盆」が行われます。祭礼は戦前より催されていたようなので、四間道の暮らしには欠かせない存在と言えますね。

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子守地蔵尊が祀るお地蔵様には「宝永七年 円城童子」の刻銘があり、子どもの疫病除けにご利益があると言われています。地蔵尊の来歴は分かっていませんが、1722年(享保7年)の作ということから、1724年(享保9年)の大火より前に存在した寺と関係があるのかもしれません。

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子守地蔵尊のお地蔵様について、地蔵尊研究家 芥子川律治(けしかわりつじ)は、「像高30センチ程で、花崗岩(かこうがん)でできている」と著書「名古屋のお地蔵さま」に記しています。もともとは別の場所にあったようで、付近の井戸浚い(いどさらい)で発見されたのは、刻銘「宝永七年」のおよそ130年後、1858年(安政5年)のことです。

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推測として、明治はじめの廃仏毀釈運動(はいぶつきしゃくうんどう)に際し、お地蔵様を井戸の中に隠そうとした説や、かつて庄内川(しょうないがわ)が氾濫したときに上流から流れてきたという説が挙げられていますが、定かではありません。

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埋まってしまった理由はさておき、たった30センチの地蔵尊が土の中から見つかったのは “お地蔵様の意志によるもの” と信じられることとなり、御堂の建立とともに地蔵尊が祀られました。以降、昭和期には近隣町内の寄付で改修がなされ、また改修後は “子守地蔵尊運営委員会” によって整備が行われるなど、地域の厚い信仰を集めています。

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改めて御堂を見ると、やはり手入れが行き届いています。卍紋(まんじもん)が描かれた神前幕に、ハート型の猪目懸魚(いのめげぎょ)、鮮やかな御神燈、丸っこいフォルムの瓦屋根など、どことなく可愛らしい見た目です。意匠も「円城童子」にあやかったものなのかもしれません。

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近隣には「いとう」と彫られたガラス戸があり、かつてはこれを目印に芸妓(げいぎ)を尋ねたようです。また、御堂の横には芸者長屋を利用した着物店が建つなど、かつての芸者街の面影は随所に窺えます。

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四間道は名古屋城下に流れる堀川より西にあり、名古屋駅から歩いて行ける距離にあります。土蔵群とともに町屋を活かしたお店が軒を並べる、江戸と昭和が調和した町並みには時代の変遷を、今なお大切にされている子守地蔵尊には、風習を守る人々の暮らしがよく現れていると感じました。

子守地蔵尊
住所〒451-0042 愛知県名古屋市西区那古野1-33-34
駅・アクセス名古屋市営地下鉄 桜通線 国際センター駅 徒歩7分


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